■2017年10月02日(Mon) 久留米競輪1
 2回にわたり競輪場の周辺を散歩します。今回は戦後編、次回が戦前編です。以下「久留米市史第4巻・第11巻」久留米市教育委員会「歴史散歩bQ3」を基礎にして紹介します。
 (本稿は2008年4月8日に上程していたものですが、2017年7月8日から開かれた「軍都久留米の風景と暮らし」の展示をもとにリニューアルしました。)

 久留米は敗戦間際(昭和20年8月11日)に大規模な空爆を受け、街は焼け野原になっていました。戦前の久留米は師団を擁する有数の軍都でしたが、当時、久留米市の軍事施設に兵隊はほとんどおらず工場も戦力にならないものを製造していたため軍事目標として価値が無かったようです。この時期に空襲の対象となったのは戦争終結が近いことを知った米軍が沖縄に運んだ大量の爆弾の処理に困り、若い兵士の訓練もかねて空襲を受けていなかった久留米をねらったとの見方があります(平成20年8月15日西日本新聞)。
 
            (米軍撮影・空爆される久留米中心部の写真)
 

 昭和23年「競輪」を公認する自転車競技法が施行されました。施行規則上、競輪場開設は戦災都市にのみ許されました。復興の資金に充てるためです。福岡県南の指定枠(1カ所)をめぐり戦災都市である久留米と大牟田の間には激しい誘致合戦がおこりましたが、戦前から「自転車の街」として栄えた久留米が勝ち、競輪場の誘致に成功したのです。
 

 昭和23年12月13日の久留米市議会協議会の議事録には以下の記録があります。
 市長 今度規則の改正によりまして、競馬場並びに競輪場は戦災都市のみに許され、市
    自体で誘致せねばならなくなりました。何れも相当の経費を要するので、之が支出
    面について皆さんに御諮りしたい。只今の所、予算額は幾ら必要かが明らかでない
    が、是非とも施行したいので御願いしたい。競輪場の施行場所は正源氏山公園一帯
    (国有財産)の払い下げを受けて実施したいと思っている。
 この提案が可決され、野中町の正源氏山公園(旧陸軍墓地)の国有地の払い下げ(約6割)と陸軍墓地奉賛会からの寄付(約4割)を受けて、競輪場の敷地は確保されたのです。以後急ピッチで施設工事がなされ、昭和24年7月28日に競輪場が完工しました。約3万2000坪の敷地に1週500メートル、走路幅9・5メートルという規模で設けられた1級規格の競輪場でした(現在でも全国第2位の広さです)。(KEIRIN.JPのホームページ・競輪場情報
 

 昭和24年7月30日開催の第1回久留米市営競輪には6日間で1万8000人もの入場者があり、1日あたり368万9000円の売り上げがありました。当初は全国から120人の選手を招いて華々しく行う予定だったところ工事の遅れにより出場選手が不足したため急遽市内の自転車店員を集めて地下足袋をはかせて出場させたという逸話が残っています。
 

 競輪事業は戦後の久留米市の復興に多大の寄与をしてきました。昭和24年から38年まで競輪収益金から久留米市一般会計への繰入額は累計約7億4000万円にのぼり、その半額以上が公共工事と教育関係に使われています。市政久留米(平成21年6月1日号)によればこの60年間の累計繰入額は368億6000万円に上るそうです。
 

 久留米競輪が生んだ競輪界のスーパースターが中野浩一選手です。(ウィキペディア)
 中野浩一は昭和30年生まれで久留米市出身。両親とも競輪選手です。八女工業高校時代は陸上競技をしており、高校総体に出場した際には同校の400メートルリレーの第3走者として優勝に貢献しています。中野は昭和50年に競輪学校を卒業し第35期生としてプロとなりました。すぐさま新人王となりトッププロに躍り出て(オールスター競輪・日本選手権・ケイリングランプリ等で優勝)、昭和55(1980)年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金1億円を突破し、プロスポーツ界の頂点に立ちます。ミスターケイリンとしての中野の名を世界に知らしめたのは世界自転車選手権プロスプリント10連覇(1977年から1986年)という空前絶後の偉業です。ヨーロッパにおける中野に対する尊敬の度合いは凄いものです(ツール・ド・フランスで知られるように自転車競技への関心は日本よりもヨーロッパで遙かに高いのです)。中野は1992年の高松宮杯競輪を最後に引退しました。その生涯獲得賞金は13億円を超えます。久留米競輪は中野の功績を称え「中野カップレース」を開催しています。
久留米競輪ホームページ

 2017年7月のある日、久しぶりに久留米競輪場を訪れました。当日は久留米での競輪は行われていませんでしたが、福井競輪で「不死鳥杯」(GV)が行われており、その車券(勝者投票券)を購入することができました。最初、スタンドに行きましたが、客はまばらであり、全く売り上げが上がっていないかのように誤解してしまいました。
 

  バンクでは女性競輪選手の練習が行われていました。
 

  バックスタンド下の車券売り場に行ったら大勢の競輪ファンがあふれていました。
 
  バックスタンドの下は十分な冷房が効いており、快適に時間を過ごすことができます。
真夏のスタンドがガラガラなのは訳があったのですね(笑)。

* 現在、久留米市財政における競輪事業の比重は小さいものです。今後「久留米市営」と
 いう看板がどうなっていくのか1市民として見守っていきたいと思います。