■2017年08月17日(Thu) 心療内科の視点 |
交通事故の被害者には心療内科疾患がしばしば見受けられます。心療内科の疾患は「画像」に写らないものであるが故に身体医(整形外科等)から理解されがたく、保険会社社員や代理人弁護士からも不合理性を追及されることが多々あります(酷いときには「詐病」扱いされます)。被害者は激しいストレスにさらされます。被害者なのに自分のほうが悪いかのような言われ方をされ、それが更に心療内科疾患の重篤化を招くことも少なくありません。 損保代理人が損保の意向に従い「画像」偏重になるのはともかく、被害者代理人までかかる態度をとるならば被害者は救われません。ゆえに被害者代理人となる弁護士は心身医学の研鑽を積み、心療内科の視点を「法律論として」構成できるよう努力すべきです。 以下は某訴訟のなかで展開した抽象論(一般論)です(具体的な部分は省略)。 第1 総説 本件を医学的に考察するためには「心療内科」と、その依拠する「心身医学とは何か」を正 確に理解する必要がある。特に器質的(身体的)疾患や精神科(内因的)疾患との区別を整 理しないと議論が的外れなものになってしまう。また、心身医学は器質的(身体的)疾患と異 なるとは言え、あくまで「科学としての医学」のひとつであるから、医学的機序(ソフトなメカニ ズム)を理解しておくことが重要である。以下、詳論する。 * 参考文献 末松弘行「心療内科入門」金子書房、久保千春編「心身医学標準テキスト」 医学書院、井出雅弘「臨床に役立つ心療内科入門」NCコミュニケーションズ、夏樹静子 「心療内科を訪ねて」新潮文庫、池見酉次郎「心療内科・正・続」中公新書、福間詳「ストレ スのはなし」中公新書、「医学大事典」医学書院、久保千春「ここまでわかった心身相関・ 科学的にみたこころとからだの相互作用」診断と治療社、医療情報科学研究所「病気が みえるvol.7脳・神経」メディックメディア、など。 第2 心身医学・心療内科とは何か 1 心身医学とは心身症に関する医学分野である。心身症は「心の問題で生じる身体の病 の総称」であり、その現れ方は実に多様である。同じようなストレスに晒されていても、現 実に心身症がいかなる箇所に出現するかは個体差が大きい(これを「器官選択」という)。 その理由は現代においても未だ明らかにされていない。 2 心療内科は心身症を対象とする診療科である。我が国の心療内科は昭和36年に九州 大学医学部に精神身体医学研究施設が設置され、昭和38年に精神身体医学講座となり 付属病院に心療内科が開設されたのが最初である。平成8年3月に医道審議会に於いて 心療内科の標榜科目が認められ、9月より施行された。現在は普通の市中に心療内科を 専門とする医師が多く存在する。ただ心療内科を標榜する医師が心療内科特有の訓練を 実際に経ていると言えるか否かは微妙であるらしい。心療内科は職人的な見識と技術を 要する分野であるが、標榜医全てが職人的な見識と技術を十分に取得しているとは限ら ないようである。 第3 他の診療科目との関係性 1 器質的(身体的)疾患との区別 心療内科は、器質的(身体的)疾患では説明がつかないような、心身医学的背景を有す る疾病を理解し治療することを自己の仕事とする。器質(身体)的疾患で説明がつくような 病態は守備範囲ではない。どんなに精緻な器質的(身体的)検査や治療を試みても「治ら ない」患者に関して<心身医学的アプローチ>で迫るのが心療内科なのである。 2 精神科(内因的)疾患との区別 精神科が主に対象とするのは脳内伝達物質の異常(統合失調症ならばドーパミンの過 剰・うつ病であればセロトニンの不足等)によって精神的な不調をきたす病態である。外的 要因を考慮することはあっても2次的な問題であり第1目標は脳内疾患である。したがって 内因的な「うつ病」と外因的(ストレッサー)な「うつ状態」は区別されなければならない。 「うつ病」はセロトニン等脳内伝達物質の不足によるものと考えられる疾患(病気)であり 外的なストレスがなくても発症する。「うつ状態」は異常な外的要因であるストレッサーに 対して身体が(正常に)反応した結果として本人にとって不都合が事態が生じる病態なの である。心療内科が対象とするのは「うつ状態」である(両者の混合形態は存在する・スト レスによるうつ状態が、結果としてセロトニン等の脳内伝達物質の不足をきたす事態)。 両者は正確に理解されなければならない。 第4 医学的な機序(メカニズム) 1 器質的(身体的)疾患のハードメカニズム 整形外科を代表とする診療科目は端的に言えば身体疾患を主な考察対象とする。部位 的に言えば体幹・四肢の全てであり、器官的に脊椎・脊髄・末梢神経・関節・手足などを対 象とし、病態として先天・変形・炎症・骨折・脱臼など外傷を主とする。機械としての人間の 「ハードメカニズム」が考察対象となることが多い。 2 心身医学が前提するソフトメカニズム 心療内科は端的に言えば「自律神経系」や「心と体の相関関係」を考察の対象にする。 人間の中の「ソフトなメカニズム」を専ら考察していると言っても良い。そのプロセスは従来 必ずしも明確ではなかったが、近時「ストレス」に関する研究が飛躍的に進んでおり、ある 程度、医学的科学的機序が明らかになってきている(詳細は久保千春「ここまでわかった 心身相関」診断と治療社・第1章を参照)。 内臓・分泌腺・血管・汗腺などは脳の指令を受けることなく独立して機能している。この 制御を行うのが自律神経である。その働きにより呼吸・心拍・体温・血圧・排尿などが自動 的に調節されている。自律神経は交感神経と副交感神経のバランスにより機能している が、ストレス原因(ストレッサー)にさらされることでバランスが壊れる。 一般に代謝異常が身体的要素と精神的要素が総合的に絡むことで惹起されることは医 学的常識である。代謝システムは個々独立し作用するものではなく@自律神経そのもの による調整とAオートクライン(自己分泌)やパラクライン(他者由来)といったホルモン分 泌による調整と、B@がAを支配することによりなされる調整など複雑なシステムが存在 しており、これが体の恒常性(ホメオスターシス)を維持している。身体的・精神的ダメージ によるストレス(ストレッサー)が自律神経疾患や内分泌疾患病状を重篤化させることは 医療実務上よく見受けられている。免疫力を低下させることも顕著に認められている。 第5 治療方法 心療内科疾患の治療方法は明確に確立されていない。一般的には薬物療法・精神療法 自律訓練法・交流分析・認知行動療法・東洋医学的な心身療法(森田療法を含む)などが 挙げられている。心療内科医により採用する方法の割合・程度・手法はバラバラであり、 患者と医師の「相性」(ウマがあうか否か)によっても治療方法は変わるという。 第6 民事訴訟における留意点 1 「因果関係」の概念 基本的に疾病は(うつ病も含めて)「質」的要素が強く「オールオアナッシング」「イエスか ノーか」である。特に整形外科を中心とする身体疾患はハードメカニズムにもとづくもので あるが故に疾病の前後に明瞭な断絶がある。ゆえにその「因果関係」判断は単純明瞭で あり、一定の前提事実が認められる場合に、これにもとづく結果が科学的に帰結できる。 法律家がこれを論じる場合も白か黒か(オールオアナッシング)の判断に馴染む。 これに対してストレスに対する心身医学的反応は「量」的色彩が強く「少しの反応・中くら いの反応・強い反応・非可逆的な反応(自然回復しないもの)」などと表現することが出来 るものである。かかる特性は心療内科以前の医学が想定する疾病概念には存在しない。 かかる特性があるので、その「因果関係」判断は極めて複雑であり、かつ個別性が強いも のとなる。一定の前提事実(ストレッサー)が認められる場合、これにもとづく結果(反応) が科学的(統計学的)に帰結できるような性質のものではない。それゆえ法律家がこれを 論じる場合も「白か黒か」(オールオアナッシング)の判断に馴染みにくいのである。かかる 心身医学的前提を無視した「因果関係」論に意味は無い。 2 「症状固定」と「後遺障害・後遺症」の概念 法律実務で「症状固定」と言う用語は自賠責で使われるものであって負傷または疾病が 「なおった」ことを言う。これは、医学上一般的に承認された治療方法をもってしてもその医 療効果が期待し得ない状態で、かつ残存する症状が自然的経過により到達すると認めら れる最終の状態に達したことをいう、と定義されている(「障害認定必携」による)。 普通の民事交通事故賠償訴訟では上記「症状固定」概念を前提にして議論が進められ ている。ただし、民事賠償で議論されているのは自賠責がいうところの「後遺障害」(自賠 責の後遺障害認定基準に該当する状態)ではない。自賠責の認定基準は裁判所を拘束 するものではないからである。交通事故賠償で議論されているのは「後遺症」である(赤い 本・青い本を確認されたい・訴状も同じ趣旨で記載)。それが形式的に自賠責後遺障害認 定基準に該当するか否かが問題になるのではない。「被害者が事故後に後遺する病状 (後遺症)でいかなる実質的損害を受けたのか」が損害評価の対象となるのである。 心療内科疾患において「症状固定」という概念は親和性が低い。何故ならば心療内科に おいて「なおった」という明快な基準を立てられるようなクリアーな回復は考え難いからで ある。心療内科は患者が症状を「あるがまま」「もう1人の自分として」受け入れることで心 的健康を回復し、結果として身体状態を良くする、逆説的な回復プロセスを描いている。 出血と止血・骨折と癒合などの整形外科的(ハードな)回復とは異なっているのである。 (以下、略) * 個別事案では上記「心身医学」(心療内科医の依拠する規範)にもとづき患者(被害者)の被った損害を正確に裁判所に伝えられるように弁護士(被害者側代理人)は努力する必要があります。難儀な作業ですが、被害者側弁護士が努力しないと実務は変わりません。 * 本稿は総論です。各論として「非典型後遺障害」(2014年5月30日)をアップしていますので興味がある方は御参照ください。心療内科疾患に関してはしばしば 「素因減額」が議論されます。併読されると理解が深まると思います(2014年6月27日)。 * 本事案に関し和解が成立しましたので報告です(パニック障害の事案)。 裁判所から「治療費と慰謝料に関し2割の素因減額をする・その余の損害項目は素因減額しない・心療内科疾患の憎悪による特別増額を認める・これらに弁護士費用と遅延損害金を考慮する」和解案が提示され、これを双方が受け入れました。本件事案の特殊性を裁判所に判ってもらえたので良かったと思います(2017年11月8日)。 |