■2019年06月21日(Fri) 学者 128
A  三省堂大辞林編集部レポート「辞書を編む人たち」を見た。無人島に持っていく1冊は?
 向田邦子は当然に辞書(国語辞典)だという。なるほど。
B 全ての言葉が相互にその妥当性に根拠を与えていて、全体で絶妙のバランスをとって
 世界が構築されている。その最終的正当性は詰まるところ関係性にしかなくて、あたかも
 慎重に積み木を重ねていって世界を作っていくような作業だと思いました。
A B先生。「相互に妥当性の根拠を与え全体をバランスよく構築する」。本当にそんなこと
 出来るのでしょうか?関連語のいくつかまではたぶん管理できるのでしょうが。それこそ
 デジタルの利用でないと、紙ベースではとうてい無理な世界構築だと思います。
C B先生のコメントはソシュールが「一般言語学講義」で述べているところと同じです。Aさ
 んが「そんなことできるの?」と言われるのも判りますが、言葉は現にそれを実現していま
 す(「常に・既に」世界は言葉の関係性で構築されている)。言葉は天才なのです。
A なるほど。言葉それ自体が関係性を帯びたものであれば、それを紙に写す作業が出来
 るのは当然ということになりますね。なるほど。(ある日のフェイスブック上の議論)
 法的言語も「常に・既に」言葉で構築されている世界です。全ての事象はアプリオリに形成されている言葉で法的に構成されなければならない。本当にそんなことが出来るのでしょうかと問う人がいても良いのですが、誰も問わない。誠に不思議な世界です。
 法律家は全ての事象を「常に・既に」構築されている法的言語で表現します。利益考量された結果を法律体系上に位置づけ単純な命題で表現しなければならない。条文や学説がない場合は条理・慣習など法律家内で通用する言葉で表現(構成)しなければなりません。