■2018年12月24日(Mon) 学者 123
 碧海純一教授は哲学者カール・ポパーの見解を次のように見事に要約しています。
 我々の認識の結果は命題の形で言語的に表現されるが、その命題が経験科学上のものとして許容されるためには反証可能性を持たねばならず、また、その命題の真理性はそれの反証となるべき事実の存在を立証しようとする最善の努力が失敗に帰することによって初めて、それも暫定的に示される。この意味で実在認識を志向する命題は全て仮説であり、その中で上のような厳しい反証の試練に耐えたものが「理論」という尊称を受けるが、どの理論もその仮説的性格を完全には脱却し得ず、新しい事実によって反証される危険を内に蔵している。少なくとも実在認識に関する限り、ギリシャ人が理想としたような「真知」(エピステーメー)は与えられないのであり、今日我々が科学上の真理と考えるものは厳しい経験テストに生き残った「臆見」(ドクサ)に他ならない(「法哲学概論全訂第2版補正版」弘文堂31頁)。
 科学は「反証となるべき事実の存在を立証しようとする努力が可能であること・そして現在までのところ反証がなされていないこと」によって真理性が維持されているに過ぎない暫定的命題です。この意味で科学命題は全て仮説であり、その中で厳しい反証の試練に耐えたものが「理論」という尊称を受けているだけなのです。科学上の知見を無批判に「信じる」のは最も非科学的な態度です。法律論も同様です。世間的に当たり前と信じられていることも、法律上のものとして許容されるためには反証可能性を持たねばなりません。その命題の真理性は、反証となるべき事実の存在を立証しようとする最善の努力が失敗に帰することによって初めて示されものです。法的命題は「争いがない」か「現在までの厳しい反証の試練に耐えた」かによって暫定的に真実性を与えられている言説に過ぎないのです。