■2018年10月29日(Mon) 芸者 121
 藤野美奈子・西研「不美人論」(径書房)に以下の記述があります。(若干補正)
F オシャレをするということは、自分を社会に開いてゆく、という側面もありますよね。
N 人生を投げてないってことだよね。
F そうですよね。オシャレには他人に見せるためのオシャレと自分のためのオシャレとふたつ
 ある。よく女の人が「自分のためにオシャレしてる」って言うと、「そんなの嘘だっ」ていう男の
 人がいるけど、嘘じゃないよね。(略)老人ホームとかでも美容院出張サービスとかやるじゃ
 ないですか。そうすると、みんな凄く生き生きしてくるんでしょ?オシャレをすることによって
 元気になる、という良い例ですよね。
N やっぱりオシャレを放棄しちゃうっていうのは、どこかで人生を投げている、ということと
 繋がってるんだよね。オシャレは「みすぼらしくて何にも出来なくて役立たず」という自分の
 イメージを変える。そして自己イメージがよくなると他人とも関われる。(258頁)
 弁護士業務における「オシャレ」感覚とは理想のことだと私は考えます。全ての弁護士は出発時点で高い理想を抱いていたはずです。理想は他人に見せるための理想と自分のための理想と2つがあります。しかし仕事をしていく中で理想は2つとも酷く傷つけられます。日弁連の会誌で懲戒処分を受けている弁護士の行為内容を読むと「この人は弁護士人生を投げてたんだ」と思わされます。弁護士は「みすぼらしくて何にも出来なくて役立たず」という自己イメージを突きつけられることがありますが、これを払拭するために、たまには各自「美容院」のような処(良い自己イメージを回復できる場所)に行くべきです。理想を維持するためには結構エネルギーを必要としますが、理想を放棄することは弁護士人生を投げることに繋がります。弁護士こそ「オシャレ」になって自分を社会に開いてゆきましょう。