■2018年04月20日(Fri) 役者 116
 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(1951)発足以前、ドイツとフランスの仲の悪さは日中関係より激しいものでした。アルザス・ロレーヌ地域をめぐる領土紛争が両国間に穿たれた楔でした。このような中でヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を成立させる「立役者」となったのがジャン・モネです。ジャン・モネは酒(コニャック)を媒介に人脈を築き、これを基礎にして相互不信の塊だったドイツとフランスの関係を修復しました。(ウィキペデイアより引用)
 1919年から1923年にかけ、モネは国際連盟の事務次長を務め、その後1938年までコニャックで家業を営んでいた。1932年以降モネは国際的に様々な分野で提言し、世界各地で影響力を持つようになっていた。第二次世界大戦の際にモネはフランスとイギリスの軍事物資の管理に関する共同委員会の特別委員長に就任。終戦後フランスの復興に関し要職に就きモネ・プランを立案した。その中で西ヨーロッパの鉱工業の共同化構想が持ち上がり1950年5月9日当時のフランス外相ロベール・シューマンが、この構想をいわゆるシューマン宣言として国内外に発表する。モネはシューマン構想を協議する場の議長を務め、協議の結果、欧州石炭鉄鋼共同体が設立されることになった1952年から1954年までモネは欧州石炭鉄鋼共同体の最高機関(のちの欧州委員会)の初代委員長を務める。このような経歴を重ねることでモネはヨーロッパ経済の発展に大きな影響力を持つようになり、政治手腕についても1975年に活動を引退するまで国際的に高い評価を受けていた。(引用終)
 政治的対立を和解させることができる立役者は(幕末に活躍した坂本竜馬が商社的志向の強い人物であったように)商業的才能がある人のようです。伊藤忠商事で才能を発揮した丹羽宇一郎氏が在中国全権大使に抜擢されたのはこの意図にもとづくものでした。丹羽氏が書かれた「中国の大問題」(PHP新書)を読むと同氏が日中関係について見識をお持ちなのは明らかなのですが、視野の狭いナショナリストには理解されなかったようです。