■2018年07月23日(Mon) 医者 119
 夏樹静子さんは長年腰痛に悩まされていましたが、心療内科医の治療を受けて軽快されました。この経験をふまえ「心療内科を訪ねて」(新潮文庫)で次の記述をされています。
 鍼灸・気功・整体・カイロプラクティック・マッサージ・足の裏をもんだり・低周波をかけたり。こんな羽目になるまでは無縁だったが多種多様な民間療法は限りなくあった。私は勧められたほとんど全ての治療院を訪れた。(略)知人の紹介で東京から心療内科医師の訪問を受けたのは95年盛夏である。彼はソファに横たわった私から生育歴から現在の症状までを約2時間かけ聴き取った。私が大学病院で何回も精密検査を受け器質的疾患が発見されなかったことも確認した。その後で彼は自信のある口調で言った。「典型的な心身症ですね。最も簡単に言えば、心の問題で起きる身体の病の総称です。」「でも心因でこれほどの激痛が起きるとは考えられません。」「いや、心因性だからこそ、どんな激しい症状でも現れるのですよ。」
 夏樹さんはこの本で(自分を含めた)14人の症例をあげ、心療内科がカバーする疾患がいかなるものか・それをどう理解し・どう治療していくか、について素人にも判り易く説いておられます。夏樹さんによると、患者の多くが「何故良くなったか?」という問いに「先生にゆっくりと話を聞いてもらったこと」「私の心の中に押し込めていた感情を発散できたこと」「詳しく聞いてもらったあとの短いアドバイス」と答えておられるようです(227頁)。
 法律実務においても心の問題で起きる身体の病を抱えておられる方は見受けられます。医療的対処が必要な方には専門医を紹介していますが、軽症の方は弁護士が「ゆっくりと話を聞く」「心の中に押し込めていた感情を発散してもらう」「詳しく話を聞いたあとで短い的確なアドバイスをする」等の対応をすることで結構な治療効果を上げられるのかもしれません。
■2018年07月18日(Wed) 5者119
<学者と役者> 米屋尚子氏は「演劇は仕事になるのか」(彩流社)でこう述べています。
 学校教育で「生きる力」を育もうとするなら、コミュニケーションのプロである演劇人などが子供たちと活動をすることで、子供たちの表現力を伸ばしたり積極性を引き出したりできるのではないか。とりわけ異なる考えの人間同士の葛藤や問題解決は演劇の根幹にあるものです。学校の授業に演劇的手法を取り入れること自体は一部の教員の間ではかなり古くから実践されてきましたが、90年代の終わりくらいから、芸術関係者の間で、芸術家が授業にかかわる活動を普及させるべきではないかという気運が盛り上がるようになってきました。
 法律家もコミュニケーションのプロです。異なる考えの人同士の葛藤や問題解決を専門的に行っているのが実務法曹です。その実践的知恵を学校の授業に取り入れること(法教育)が高い教育的効果を発揮することは当然のことであるように私には思われます。
 実務法曹のコミュニケーション術を若干整理してみることにしましょう。
  1 相手を(自分の思いどおりになる客体ではなく)対等独立の主体として尊重する。
  2 双方が自己の依って立つ見解を(誰からも強制されずに)自由に述べる。
  3 主張する場合には結論をまず述べて理由を付加する。同意できる部分について争いを
   収束させる。争いの残る部分についてのみ根拠と証拠を検討する。 
  4 互いの論拠を吟味し、妥協できるところがあれば妥協する(和解)。
  5 妥協できないところは第3者の判定にゆだねる。判定には(内心不満でも)従う。
 演劇的・法律家的手法を学校教育に取り入れ、異なる考えの人間同士の葛藤や問題を解決する実践的手法を子供たちに学ばせる意義は多大です。かかる手法が(閉塞感が漂っていると言われることが多い)学校教育現場に風穴を開けることを私は期待しています。
■2018年07月11日(Wed) 芸者 118
 木下斉氏は<仕事の依頼>をする時の「作法」についてこう述べています。
1 問い合わせに対応すること自体にも「コスト」がかかります。回答するかしないかは先方の
 勝手であり、回答を強要する権限なんてものは当方にはありません。
2 依頼する内容が不明瞭なままに相手と何度もやりとりをすることを前提としたような依頼の
 仕方はとてつもなく非効率で「相手にその非効率なやりとりにかかるコストを全て負担させる
 ことを強制しようとしている」ことを認識しなくてはなりません。
3 最悪のパターンは何の依頼か判らない状況のまま、ただひたすら「一度会う時間を確保し
 てくれ」と言ってくるケースです。会う時間を割くか否かは事案によって会うべきかどうかを依
 頼先の人が判断するものであって依頼元が判断すべきことではありません。
4 依頼をする際に、自分たちの組織のルールを相手に押し付けるのも的はずれです。
5 予定よりも先に条件があうかどうかの方が先です。条件があわないのに予定が空いてい
 ても意味はありません。基本的に依頼を引き受ける先の人が「このような内容であればこの
 ような条件であれば引き受けます」と言うものであって、「こちらのルールに乗っ取るのであ
 れば依頼してやる」という姿勢自体が大変に傲慢であると思うところです。
6 依頼する前に自分たちの組織でのとりまとめもせず思いつきで依頼をして「うちの組織の
 意思決定上これから稟議にかけます」みたいな話になったりするのも大変に失礼な話です。
 自分たちの組織内をまとめてから外部には依頼すべきことです。「組織内の意思決定の不
 確実性」をなぜ依頼先の人が負う必要があるのでしょうか。(16/3/11)
 弁護士は依頼を受けることが多い職業ですが、他の人に<仕事を依頼すること>も多いと
考えます。上記6点は弁護士も意識しておくべき大事な「作法」です。
■2018年07月06日(Fri) 易者 118
 マザー・テレサは次の言葉を残しています。
 人は不合理・非論理・利己的です。気にすることなく人を愛しなさい。あなたが善を行なうと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく善を行ないなさい。目的を達しようとするとき邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなくやり遂げなさい。善い行ないをしてもおそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。あなたが作り上げたものが壊されるでしょう。気にすることなく作り続けなさい。助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく助け続けなさい。あなたの中の最良のものを世に与えなさい。けり返されるかもしれません。でも気にすることなく最良のものを与え続けなさい。(引用終)
 弁護士が仕事を続けるためには「鈍感」であることを強く強く求められるような気がします。私たちが「善」を行おうとするとき、「目的」を達成しようとするとき、「良い行い」をしようとするとき、「正直さと誠実さ」を表現しようとするとき、何かを「作り上げよう」とするとき、相手を「助けよう」とするとき、自分の中の「最良のもの」を世の中に与えようとするとき、それらを邪魔する障害物が立ちはだかります。善く生きていくためには、そういった障害物を何とも思わない(良い意味での)「鈍感さ」が不可欠です。弁護士が主張する「善」「良い行い」「正直さと誠実さ」の表現は業務遂行上の手段という側面があります。これを<偽善>と称する人もいます。しかし依頼者を助けようとする仕事は自分の中の「最良のもの」を法律的空間に与える行為です。私たちは無責任な他人の言動を気にすることなく(鈍感に)自分の考える<正義>を主張し、(単純明快に)これを実現していけば良いのです。