■2019年05月17日(Fri) 学者 127
 伊藤邦武「物語・哲学の歴史」(中公新書)に以下の記述があります。
 人間の感覚的知覚は、デカルト以来の意識の哲学では、外界からの感覚的刺激を精神が観念という形で「受動」することとされてきた。メルロ=ポンティは、知覚的経験がそうした外界からの刺激の受動的刻印とは異なるものである、と主張する。知覚とは、環境世界の多様性の中に、幾筋もの主体的行動の可能性を読み取り、それらの可能性からなる領野を形成しつつ、同時に変形しようとする、それ自体が流動的な作用である。身体は「作用の指向性」を発揮する。それは意識の外側に明快な描像を描くことではなく、これまでの経験の蓄積と習慣を背景的な「地」としつつ新たな経験の可能性を「図」として浮かび上がらせる作業である。身体が司る経験は刺激の受容ではなく、行動の可能性の表出の作用である。(292頁)
 裁判所が依拠する要件事実論の枠内においては、弁護士の法的行為はアプリオリに構築されている要件事実を裁判官に向け主張立証するだけの受動的なものです。しかし、実際に20年以上この仕事をやってみて、弁護士の法的行為とは要件事実を解釈適用するだけの行為とは違うと感じています。弁護士が依頼者との関係性のなかで産み出す知覚は、世界の多様性の中に幾筋もの行動の可能性を読み取り、それらの可能性で成り立つ事実を形成しつつ同時に変形しようとする、流動的な作用です。弁護士は消しゴムのように身を削って正しい規範を作り出そうとします。それは経験の蓄積と習慣を背景的な「地」としつつ、新たな経験の可能性を「図」として浮かび上がらせようと試みる作業です。あらたな「生ける法」を産み出すべく動き出すときに弁護士の身体が司る経験は刺激の受容ではありません。それは行動の可能性の表出です。弁護士における法とは「生きられる世界」そのものです。
■2019年05月13日(Mon) 医者 127
 藤田紘一郎先生(東京医科歯科大学名誉教授)がWisdomでこう述べておられます。
 赤ちゃんはお母さんの胎内では無菌状態、免疫ゼロで過ごします。しかし外界に出るとインフルエンザ菌やさまざまな悪い菌がたくさんいるため、対抗できる体を作らなければなりません。そこで「ちょいワル菌」を体内に取り込むのです。良い菌を入れても免疫は発達しませんから、それがいろいろなものを舐めることに関わっているというわけです。ですから生まれて直ぐにおっぱいも哺乳瓶も消毒して無菌室のような部屋に入れてしまうと、赤ちゃんの腸はきちんと発達しません。事実、生まれたばかりでアトピーになっている赤ちゃんの便を調べたら半分近くは大腸菌が1匹もいませんでした。ということはアトピーになっても治らない。成人になったら卵も牛乳も受けつけない体になってしまうのです。ですから赤ちゃんには自然にそのまま好きに舐めさせたらいいのです。不潔なように見えますが本当は必要なことなのです。菌の力を借りて人間の力を強めようとしているわけです。つまり体を強めるためには「ちょいワル菌」と付き合わなければいけない。良いやつと付き合うだけではだめなのです。(引用終)
 少年は家庭内では免疫ゼロで過ごします。が世間に出るとさまざまな悪い人がたくさんいるので、対抗できる人間にしなければなりません。そこで「ちょいワル」と付き合うのです。良い人とだけ付き合っても免疫は発達しません。ですから生まれて直ぐに無菌室のような部屋に入れてしまうと少年はきちんと発達しません。教育熱心な親御さんには無菌状態を好む方もいますが、結果として少年を「心のアトピー」に陥らせる可能性があります。少年はそのままで世間に触れさせたらいいのです。これは「雑菌だらけの世間」の力を借りて人間の力を強める試みです。無菌室の中に隔離して「良いやつ」と付き合うだけではダメなのです。
■2019年05月07日(Tue) 5者 127
<学者と芸者> 中村修治さんがフェイスブック上でこう記されています。
 ある経済学者の解説。「彼らは機会費用が安いのだ。貧乏人に多い」。機会費用とは、ある行動を選択することによって失われる、他の選択可能な行動のうちの最大利益を指す経済学上の概念である。数百円のタダ飯のため数時間並ぶのなら暖かいコタツに入ってエロ話でもしている方がよい。自分の貴重な時間をタダ飯のために無駄遣いしてはいけない。ましてや最後に怒号をあげるなんてもってのほかである。時間を返せと叫ぶのであれば、まず自分の貴重な1分1秒を見直せ。人柄は「お金」と「時間」の使い方に出る。(引用終)
 弁護士も多少は経済学や会計学の概念に慣れておくべきです。上記「機会費用」の概念も弁護士の仕事に大いに有益なものです。訴訟を中心とする法的手続も「それをすることによる利益」と「それをしないことによる利益」があります。通常の場合、弁護士は依頼者に対し法的手続をすることによる利益しか論じていません。なぜなら法的手続をしないことによる利益は弁護士には普通判りようがなく依頼者自身が判断すべき場合が多いからです。特に人生の選択(離婚など)における両者の比較検討など弁護士は絶対に出来ません。しかし企業(特に依頼者が顧問である場合)では長期的に見た場合のメリット・デメリットを後見的に考えておく必要が生じます。企業活動は貴重な資源を配分して最大の利益を目指す合目的的な行動の集積です。ゆえに法的手続の機会費用を考慮する必要があります。特に対象とする法的行為の経済的価値が低い場合、法的手続をすることによる利益と法的手続をしないことによる利益はシビアに比較される必要があります。目的的合理性を追求する企業に於いて機会費用の内容は重要な判断要素です。弁護士も経済学的観念に慣れて、自分の意見を企業者にきちんと説明出来るように、地道な学習を継続すべきでしょう。