■2020年05月27日(Wed) 易者 137
  ネット上で見つけた美輪明宏さんの名言。弁護士業務でもフル活用できます。
1 世の中には人に言えない苦しみや地獄を抱えた人が大勢います。でも強くしっかり生きているのです。同じ人間です。貴方もできます。やらないだけです。
2 「何かしてあげたい」本当にそう思うのなら「何もしない・邪魔をしない」ことがいちばん良いという場合もあるのです。
3 「カス」の相手をしている時間なんてもったいないでしょ。「そんな人たちは、私の人生になんの傷も与えられない」と思える強さを身につけることが大切です。
4 お金は“目に見えないもの”に使いましょう。洋服やアクセサリーなど形あるものは直ぐに流行おくれになり、その価値を失ってしまいます。ところが技術や教養、経験や知識は目には見えませんが、あなた自身を豊かにしてくれます。
5 辛い・苦しい・哀しい・痛い。人間が一番大変なとき、何の役にも立たないのは大騒ぎするだけのマイナスの感情。役に立つのは強く・楽しく・明るく・そっちへ切り替える理性です。 冷静に、理性で「次にどうするか」の方法だけを考えることです。
6 生きる上で一番余計なモノ、それは悩むこと。「悩むよりも考えろ」といつも言っているんです。何か起きたのなら、何故そうなったのか。そうならないためには、どうすれば良かったのか考える。自分なりに分析して、同じことを繰り返さない参考資料にすればいい。
7 やりたい仕事につけたから「後は平和で幸せな日々が続く」なんて思ったら間違い。どんな仕事でも一緒です。何か1つ得て喜んだら、それに匹敵する苦しみや悲しみがあります。
8 どこに住んだとしてもイヤな人なんて山といるわよ。極楽じゃあるまいし極楽に住んでいるようなわけにはいきません。あなたが住んでいるのは地球。イヤな人がいて当然よ。
■2020年05月22日(Fri) 役者 137
 日本を代表する名女優・樹木希林さんは映画「あん」の取材において「差別はいけません」という啓蒙的な話ではなく<自分の言葉で>こう語られたそうです。
 私も人生にいろんな出来事がありましたけれども、自分の側に原因を持ってきて考えると、なかなか良い解決方法が出来るんですよ。いつまでも人のせいにしていると全然解決しないのでね。常に自分に起きたことは、常に自分はどうだったかと考えるようにしているんですよ。世の中、大きな事件があって、被害者がかわいそうだと思う。じゃあ加害者が酷い、で終わるのではない。どう育てられたのか、何故そうせざるを得なかったのか、そういうことを考えるようになった。「世間て怖いよね、でも一番悪いのは俺だ」っていうようなことを言う。ああ、それだって思うんです。世間を糾弾するとき常に自分を疑ってみる。「らい」を無くす運動っていって全国が競ったんですね。これの恐ろしさは身近にいる人が密告するんですね。もし私がそういう(密告側の)立場にいたとして1番を競っていたら「あそこの家にもいる」「ここにいる」って言わなかったかといえば、私はやらなかったとは言えない。自分の中にそういうものはある。どうしてもそう思えるんですよ。人というものの持つすさまじさを感じた次第なんです。今日に至るまで世界にはたくさんの差別がある。一番怖いのは身近にいる敵なんです。(引用終)
 ドイツにはピカート「我々自身の中のヒトラー」という著作があります(学生のときに読みました)。「ヒトラーが酷かった」で終わるのでは駄目です。何故にナチス政権は成立し・大衆は熱狂的に支持したか?その時代に生きていたら自分はどうしたか?意識しないと意味がない。ハンナ・アーレントに「悪の凡庸さの報告」という著作があります。普通の人が1番怖い。日本の人権侵害に関しても常に自分を疑うことが肝要です。「自分の中にある悪」を考えることで「自分を客観化・相対化すること」こそが最も重要なのだと思います。
■2020年05月18日(Mon) 学者 137
 現代の船舶はGPSで位置情報を得ながら航海をしています。大海原でも「今自分はどこにいるのか」を確認することができます。コロナショックに見舞われている今の社会は「突然GPSが使えなくなったときの船舶」に似ています。自分が何処にいるのか判らない・どこに向かっているのかが判らない・何時になったら陸地に上がれるのかが分からない。大航海時代の帆船そのものです。大海を渡るときは何日も同じ風景が続く。位置座標の認識を間違えれば食料も尽きて死んでしまう。当然、彼らは何も持たずに海に出たわけではない。当時の先端的知識と技術をもとに航海に出ていました。彼らの工夫は不安に見舞われている現代社会を生きる我々に大きな指針を与えてくれるように思います。世界地図の原型は出来ていました。地球の大きさも計算されていました。彼らは緯度と経度を認識して船上で確認しました。緯度は太陽と星が基準となりました。南中する時の太陽高度は緯度を教え、北極星は北の方角を正確に指し示しました。経度は基準となる母港と自船の位置との時間差で割り出します。そのためには正確な時間を示す時計が必要です。時計技術が進むたび位置認識の精度は上がりました。船員は航海日誌を付けていました。単調な毎日では記帳をしないと時間の感覚を失うからではなかったかと思います。食料にも気を使いました。保存食とされたのは塩漬けの肉とビスケットですが、これを続けていると栄養が偏り壊血病などの病気を発症します。柑橘類と野菜の摂取が予防に有効であることが発見されるのはずっと後の時代です。
 我々も同じ認識を持つ必要があります。正確な位置情報を得る。何が太陽か北極星かを見極める。正確な時間を確認する。日記をつける。健康を維持するため栄養のバランスをとる。インスタント食品ばかりにならないよう食事に気を遣う(出来るだけ野菜と果実を採る)。
 以上、コロナショック時代を見据えて書き綴ってみました。(2020年4月14日FB)
■2020年05月08日(Fri) 医者 137
 新型コロナウイルスを理解するための初歩的医学知識。以下、FB上の備忘録。
 なぜインフルエンザウイルスは変異を起こすのか。それはインフルエンザウイルス遺伝子が通常の生物のDNAではなくRNAで、非常に不安定だからである。そのためにインフルエンザウイルスは「突然変異」を起こしやすい。インフルエンザウイルスは複数(8本)の分節(セグメント)を遺伝子情報として持っているため「遺伝子交雑」を起こす。2種類のインフルエンザウイルスが1つの細胞に感染した場合、理論上は256通りもの遺伝子再集合をつくる可能性がある。インフルエンザウイルスは驚異的なスピードで増殖する(1個のウイルスが1日で100万個以上に増殖する)。これらの特徴からインフルエンザウイルスは例えば哺乳類が100万年かけて起こすような変化をたった1年でやり遂げてしまう。現在懸念されている新型インフルエンザの脅威は、不連続抗原変異(大変異)を起こしたインフルエンザウイルスが出現し、誰も免疫をもたないためウイルスが世界中に大流行し、感染者の症状も重症化して大きな被害をもたらすことによる(速水融「日本を襲ったスペインフルエンザ」藤原書店・2006年)。
 コロナウイルス自体はありふれたウイルスで、通常は重症化することはなく、普通の風邪程度で済む。しかしSARSのような特殊なコロナウイルスは命を脅かす存在になる。SARSの流行後、専門家はこれを「実に憂慮すべき事態だ」と評した。SARSと入れ替わるように致死性の高いМERSが出現したのはそのすぐ後のことだった。危険なインフルエンザウイルスが次に何時・何処から現れるか誰も判らない。インフルエンザウイルスは人間だけでなく野生の動物や鳥、家畜も感染し、ウイルスのやりとりが繰り返されていくため、どんなウイルス株が出現するか予測することは極めて困難だ。人間と豚が近い距離で生活している地域が多い中国ではいつ新型インフルエンザが現れてもおかしくない、と言われている(サンドラ・ヘンペル「パンデミックマップ」日経ナショナルジオグラフィック・2018年)。
■2020年05月04日(Mon) 5者137
 2020年4月7日、新型コロナウイルス特別措置法にもとづく緊急事態が宣言された。福岡県も対象地域に指定されたので、県内の裁判所における期日は原則として職権で取り消しとなり「追って指定」となった。以下は急に暇になったのでFB上に残した読書記録。
 1918年のインフルエンザ流行は「スペイン風邪」と呼ばれているが、最初の感染がスペインで起こった訳でも特にスペインで猛威を振るった訳でもない。背景には第1次世界大戦がある。参戦国各々で厳しい情報統制が敷かれ士気の低下につながる情報や国としての弱みをさらす報道が封じられた。中立の立場を保っていたスペインではこうした情報統制がなかっただけである(サンドラ・ヘンペル「パンデミックマップ」日経ナショナルジオグラフィック)。
 日本での死者は74万人(内地45・3万人、外地28・7万人)。平時にこれほどの死者を出した事象は近代日本史に存在しない。発生は2期。前流行が大正7年秋から大正8年春。後流行が大正8年暮れから大正9年春。前流行は罹患率は高いが死亡率は低かった。後流行は罹患率は低いが死亡率が高かった。前流行でウイルスに出会っていた者は抗体を得て後流行に臨んだことによるものと考えられる。スペインインフルエンザは何故に忘却されてきたのか?多数の罹患者を出しながら死亡率は(ペストやコレラに比較すれば)高いとは言えなかった。軽く見る風潮は「スペイン風邪」という呼称に表れている。しかも、まもなく関東大震災が起きた。大地震による物的被害は甚大だった。スペインインフルエンザは多数の死者を出したが風景は変わらなかった。絵にならなかったので写真がほとんど残されていない。さらに昭和に入ると、もっと死者が増える戦争が続いたので、スぺインインフルエンザのことは記憶から消し去られてしまった(速水融「日本を襲ったスペインフルエンザ」藤原書店)。
 我々は歴史を生きている。未来に向け、過去を掘り起こし、現在を記憶(記録)しよう。