■2019年08月09日(Fri) 易者 129
 羽生さんが「永世七冠」になったときの田中幸弘教授(新潟大学)とのFB会話。
H 羽生さんは8月26日早朝の飛行機で朝倉に来ていたそうです。集中豪雨で被災した方を慰問するためでした。25日は竜王戦挑戦者決定戦第2局で深夜に至る激闘の末に松尾八段に敗れていたにもかかわらずです。今回の奇跡は神様が盤外でも最善手を指している羽生さんを応援していたからだと思います。逆に渡辺さんは昨年の悪手により神様に嫌われていたようです。自分を見つめなおし再度頂上決戦に出てきて欲しいと思います。
T  おっしゃる通りかと。やっちまったことにいつまでも引きずられているより、いろいろ変えてみて可能性を探りつつ環境を整え微調整するのもプロだと思います。微調整で足りない時は「方違え」などしてみるのも良いかと。旅はまだまだ続くでしょうから。
H  「方違え」とは絶妙ですね。羽生さんは昔「将棋は盤上の技術が全てだ。人生観や社会観など関係ない」と主張しました。その羽生さんが社会貢献を何度もされています。齢を重ねる中で「神さまに愛されることが将棋に影響する」と感じておられるのでしょうね。
T 「齢を重ねる・成長する」というのはそういうことなのではないかと私も思います。少なくとも50歳を過ぎて脳梗塞やってからは私もさらに強く思うようになってますね。人間とは社会的な生き物であるのだなあと(´・ω・`)φ(..)...
H これは仏教でも同じことのようです。雲水は自分の個人的(実存的)悩みを抱えて修行に入るのですが「自分のことだけにとらわれていては何も道が開けないこと」に気づくことが大事だとされていますね。目を社会に向け「他の人の苦しみを救うことが同時に自分を救うことになる」と気づくことが悟りの不可欠のプロセスのようです。 (2017/12/06)
■2019年08月05日(Mon) 役者 129
 歌詞による小エッセイのようなもの(その2)
 「探し物は何ですか?見つけにくいものですか?」
 20歳の頃は探し物に熱中していた。本当の自分?生きる意味?これらを自分の内面で探そうともがいていた。そんなことが出来るはずもなく、いやおうなしに社会の中で生きることを模索した。しかし30歳を過ぎ・仕事を始め・結婚し・子供が出来て・組織の役員にもなると・目の前のことをこなすことに必死。それらに区切りがついた頃から、ある程度は自分と社会との距離感が判ってきた。「探すのを止めたとき見つかることもよくある話で」

 「明日嫁ぐ私に『苦労はしても笑い話に時が変えるよ・心配要らない』と笑った」
 自分の手を離れてゆく子に対し親は「大丈夫・なんとかなる」という言葉の花束を贈る以外に何が出来るでしょう?(たとえその親自身が大丈夫ではない状況にあったとしても。) 
 この歌詞を真似て私も仕事上で似た様な言い方をするときがあります。
 「いつか今の状況を過去形で語れるときが来ます。笑い話で語れれば良いですね。」

 「日々の暮らしは嫌でもやって来るけど静かに笑ってしまおう」
 突然襲ってくる異常事態。自分には非がない事故。そういう非日常的なことの後も「日々の暮らし」(日常性)が嫌でもやって来る。そんなとき「何故?」と問うても仕方がない。神様を恨んでもしようがない。涙がこぼれないように上を向いて今後を「如何に?」と問うしかない。
 「わけの判らないことで悩んでいるうち老いぼれてしまうから」