■2019年03月22日(Fri) 芸者 125
 ツイッターの「新人弁護士に言いたいこと」に以下の記述がありました。
1 依頼者に共感し一生懸命になるのは大事だけどシンクロしすぎて自分が病みそうになった
 らこれをつぶやいてバランスを取ろう。「しょせんは他人事」
2 自分が所属している事務所以外の、上の期の弁護士と交流する機会を持っておくこと。
 ボス弁は希に急死するんだ。
3 事務員さんは大切にしよう。出張にいったらお土産を買おう。やってもらったことには全て
 「有り難う」と言おう。(私の民弁教官からの教え)
4 睡眠時間は確保すること。夜遅く仕事をすることは美徳ではない。
5 自分には経験も能力もないことを自覚し、最初の5年間は全ての楽しみを捨てて死ぬほど
 勉強して這い上がって欲しい。少なくとも給料の3倍の売り上げを持ってこられないようなら
 イソ弁に価値はない。それでも雇ってもらえるのなら、そのことに深く感謝すべきです。
6 すごい人に打ちのめされることもあろうかと思います。が、あんまり情報に振り回されず、
 御自身の強みをちゃんと生かしてあげて下さい。
7 ふがいない私ですが、新人弁護士に言いたいこと。「抱えこまない」
8 死ぬな。*期*年でも同期が何人かいない。1人目は半年もたたないでこの世を去った。
 人のために働きたければ自分を大事にしなければならない。ここに来るまでにかかった時
 間を考えて、長持ちしない働き方をしてはいけない。(引用終)     
  一番大事なのは「自分の命」です。弁護士業務は他人のための仕事ですが頑張り過ぎて
自分の命が無くなっては意味がない。仕事との距離感を上手にとって行きましょう。
■2019年03月12日(Tue) 易者 125
 ブログ「未弐の夢辞典」によると弁護士や裁判に関する夢は次の無意識を象徴します。
【弁護士】 助言者。導師。宇宙や人間の法則を理解すること。理知的に物事を解決しようとすること。自己を弁護してもらいたい気持ち。守ろうとすること。裁判沙汰になる様な問題を抱えている。言い訳を必要としている状態。言葉巧みなこと。弁護士を雇う・話を聞く…問題解決法を探っている。解決に近づく。顧問弁護士を見る…仕事関係でのトラブル発生。弁護士と争う・相手方の弁護士に会う…大損失。時間と経費が無駄に費やされる。ことば巧みに騙される。運勢低迷。自分が弁護士になる…理知的に物事を解決する必要性。ことば巧みに誰かを言い含めようとしている。言い訳したいことがある。
【裁判】 真実を見極めようとする気持ち。モラルと正義。罪悪感と自己防衛。自己批判。自己判断。宣告を受けること。強い権威と圧力。裁判官になる…自己を裁いている。清廉潔白な生き方の必要性。争い事が起きる。敵意を抱いている人物が居る。裁かれるべく裁判官の前に立っている…良心の呵責にさいなまれている。強い権力者の圧力を受けている。裁判所で一方的に宣告される…順調に物事が進む。次のステップに上がれる。死刑宣告を受け処刑される…名誉を得る。成功。病気が癒える。凶運が去り盛運が訪れる。法廷で弁明する。人と争う暗示。自己防衛の必要性。迂闊な言動は控えるべき。
 こういうイメージが弁護士や裁判に対する印象なんでしょうね。<言い訳・無駄に費やされる時間と経費・言葉巧み・罪悪感>など、あまり良い印象ではありませんね(涙)。自分が他の方の夢に出現してくるという姿はあまり考えたくないところですが、そのような場面があるとしたら<法則を理解する・解決に近づく・モラルと正義・清廉潔白・順調に物事が進む・次のステップに上がれる・成功する>という「良い印象の夢の中」でありたいと願います。
■2019年03月08日(Fri) 役者 125
 映画等の短評3本(2016)。
 「聖の青春」を拝見。映画には独特のフィクションが織り込まれている。タイトル戦の打ち上げを羽生さんと抜け出し近くの店で「デート」するなど故村山聖八段が願いながら叶えられなかった夢である。映画の中でくらい夢を見せてあげたいと思う。棺には故人が最も愛した物や最も誇りにしていた物を入れると良いと言われている。故村山聖八段の場合それは平成9年2月28日(竜王戦1組)対羽生名人戦の棋譜であった。中盤に放たれた7五飛という一見ぼんやりした飛車を浮く絶妙手が語りぐさになっている(大崎善生「聖の青春」講談社266頁)。私は死んだときに棺に何を入れて貰うのであろうか?自分の棋譜って何だろう?

 昨夜の「真田丸」は凝った演出だった。何時から物語が始まったのか直ぐに判らないオープニング。主人公の目論見が簡単に実現しない障害の設置。所縁の人物(上杉と直江)を配置して時の流れを象徴する(家康の老化も劇的)。最後に大規模なロケセットを示し最新研究で明らかになった真田丸の実際を表現する。映画の如きエンディングロールとテーマ曲。まさに今回こそ脚本家が描きたかった「真田丸」であることが実に良く表現されていた。

 父は榛名という戦艦に乗っていた。榛名は多くの海戦に加わったが奇跡的に沈まなかった。榛名は呉を母港とした。呉は海軍工廠を有する日本有数の軍港であったから米軍の徹底的空爆を受けた。そんな状況の中、父は奇跡的に生き延びて郷里に帰ってきた。私が今こうして存在するのは、この小さな奇跡のおかげである。映画「この世界の片隅に」を拝見し、多くの人に生じていた小さな奇跡の意味を感じさせていただきました。感謝。
■2019年03月05日(Tue) 学者 125
 橘玲「朝日ぎらい」(朝日新書)を読了。以下の記述は白眉。「真理や真実がどこにもないのなら、歴史とはそれぞれの民族が想像する「物語」(フィクション)で、唯一の正しい歴史を振りかざしそれを否定するのは知的ファシズム以外のなにものでもない。全ての文化が相対的なものであるならば、マイノリティの文化が尊重されるのと同様に、抑圧されたマジョリテイの文化も尊重されるべきだ。権力によって「真実」とされてきた歴史の細部を読み替え、再編修してオルタナティブな(もう1つの)歴史を作る歴史修正主義は、ポストモダンの代表的な思想家ジャック・ラカンの「ディコンストラクション(脱構築)」の一形態だろう」(100頁)。
 本書に正確な題名をつけるとすれば「いわゆる『朝日ぎらい』という現象を、哲学・社会学的見地から分析した書」ということになろうか。これを(ベストセラー井上章一「京都ぎらい」にあやかり)単純に「朝日ぎらい」と題名をつけ、しかも朝日新聞出版から出しているところに肝がある。本書はもちろん朝日の擁護本ではないが、単純なヘイト本でもない。
 「朝日ぎらい」という現象を正面から論じるためには「知的座標軸」の設定が必要である。本書は現代の政治潮流の源泉を社会主義の溶解・ポストモダンという哲学の流れ・ロールズに代表される正義論にまで遡って分析しており読み応えがある。現在の潮流の中で批判的合理性を表現するためには相当の「スタイル」を磨かないといけないと痛感させられる。
 朝日新聞は長い歴史を誇る日本を代表する新聞である(夏目漱石が在籍したこともある)。その権威に対し「ねたみ」が生じることも故無きことではない。朝日の「自分こそが正義という論調」に反発が生じることも判る。が、長期的視点で日本の政治を見渡したときに今の朝日叩きに私は同調しない。唯一の正しい歴史観を振りかざし政治を否定する趣味は私にはないが現在の政治を無批判的に肯定するほど私は愚かではないつもりである。